1 YG防衛軍 ★@\(^o^)/ sage 2015/11/17(火) 14:04:03.80 ID:???*.net
先日行われたW杯アジア2次予選対シンガポール戦、豪快なボレーシュートで代表初ゴールを記録した金崎夢生。
今後日本代表としてさらなる活躍が期待される金崎だが、実は小学生年代ではフットサルとサッカーを
並行してプレーしていた経歴を持っている。サッカーとフットサルを並行することで金崎は何を磨き、
何を学んだのだろうか。(『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.20』より一部転載)
.
当時では珍しかったフットサル専門クラブの門を叩く
時代が昭和から平成に移ったばかりの89年2月16日。三重県安濃町(現津市)の金崎家に5人目の子どもが
誕生した。女の子4人をもつ両親にとっては待望の長男誕生だった。
夢生という一風変わった名前がつけられたのは、母・美希子さんの歴史好きがきっかけだ。
今から1万2000万年前に太平洋にあったとされる伝説の大陸「ムー大陸」の響きにひかれたことから、
漢字を当てて「夢生」と名づけた。「文字通り、夢に生きる子になりましたね」と父・益己さんは笑う。
幼少期の夢生少年はキャッチボール、ドッジボール、縄跳びと運動なら何でもやる子だった。
同じ団地に同年代の子どもがいなかったため、歳の近い姉に遊んでもらうことが多かったようだ。
両親もすでに4人を育てた経験があって子育てに慣れており、長男にも過度の期待をかけず、
「元気に伸び伸びと育ってくれればいい」とだけ考えていたという。
ボールを蹴るようになったのは、安濃小2年のとき。たまたま益己さんが、自宅に入っていた
津ラピドフットサルクラブのチラシを見つけたのだ。職場のチームに入るほどのサッカー好きだった父は
「これ、どう?」と息子を誘った。夢生少年も「よくわかんないけど行ってみる」と快諾し、2人で20~30分ほど
離れた津スポーツセンターへ車を走らせた。
全日本少年フットサル大会(バーモントカップ)の常連である津ラピドFCは94年創立。当時、
フットサル専門クラブというのは珍しかった。夢生少年が入る1年前には「日の丸をつける選手を育てよう」
と強化クラスもスタートし、彼は入会半年後にテストを受けて強化クラスに入り、より高いレベルでプレーするようになった。
「ボール蹴っているときの夢生はニコニコしててね、顔が全然違うんですわ。だけど、点をとられると
メチャメチャ悔しそうな顔をする。ものすごく負けず嫌いな子だとよくわかりました」と監督の澤田一雄さんは話す。
強化クラスに入ったばかりの頃の微笑ましいエピソードがある。
澤田監督が両足裏を交互に使いながらボールタッチするスワップドリブルをさせたところ、
彼ひとりだけできなかった。
「お前ひとりだけ、できないやないか!」
怒鳴られた夢生少年は悔し涙を流しながら、これでもかこれでもかと食らいついた。普通の小学2年なら
すぐ諦めてしまうもの。しかし、この子は違った。1時間以上もひとりで黙々とトライしつづけた。
そんな姿を見ながら澤田監督は光るものを感じたという。 【異色の経歴を持つ金崎夢生。サッカーとフットサルを並行していたジュニア時代】の続きを読む
先日行われたW杯アジア2次予選対シンガポール戦、豪快なボレーシュートで代表初ゴールを記録した金崎夢生。
今後日本代表としてさらなる活躍が期待される金崎だが、実は小学生年代ではフットサルとサッカーを
並行してプレーしていた経歴を持っている。サッカーとフットサルを並行することで金崎は何を磨き、
何を学んだのだろうか。(『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.20』より一部転載)
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当時では珍しかったフットサル専門クラブの門を叩く
時代が昭和から平成に移ったばかりの89年2月16日。三重県安濃町(現津市)の金崎家に5人目の子どもが
誕生した。女の子4人をもつ両親にとっては待望の長男誕生だった。
夢生という一風変わった名前がつけられたのは、母・美希子さんの歴史好きがきっかけだ。
今から1万2000万年前に太平洋にあったとされる伝説の大陸「ムー大陸」の響きにひかれたことから、
漢字を当てて「夢生」と名づけた。「文字通り、夢に生きる子になりましたね」と父・益己さんは笑う。
幼少期の夢生少年はキャッチボール、ドッジボール、縄跳びと運動なら何でもやる子だった。
同じ団地に同年代の子どもがいなかったため、歳の近い姉に遊んでもらうことが多かったようだ。
両親もすでに4人を育てた経験があって子育てに慣れており、長男にも過度の期待をかけず、
「元気に伸び伸びと育ってくれればいい」とだけ考えていたという。
ボールを蹴るようになったのは、安濃小2年のとき。たまたま益己さんが、自宅に入っていた
津ラピドフットサルクラブのチラシを見つけたのだ。職場のチームに入るほどのサッカー好きだった父は
「これ、どう?」と息子を誘った。夢生少年も「よくわかんないけど行ってみる」と快諾し、2人で20~30分ほど
離れた津スポーツセンターへ車を走らせた。
全日本少年フットサル大会(バーモントカップ)の常連である津ラピドFCは94年創立。当時、
フットサル専門クラブというのは珍しかった。夢生少年が入る1年前には「日の丸をつける選手を育てよう」
と強化クラスもスタートし、彼は入会半年後にテストを受けて強化クラスに入り、より高いレベルでプレーするようになった。
「ボール蹴っているときの夢生はニコニコしててね、顔が全然違うんですわ。だけど、点をとられると
メチャメチャ悔しそうな顔をする。ものすごく負けず嫌いな子だとよくわかりました」と監督の澤田一雄さんは話す。
強化クラスに入ったばかりの頃の微笑ましいエピソードがある。
澤田監督が両足裏を交互に使いながらボールタッチするスワップドリブルをさせたところ、
彼ひとりだけできなかった。
「お前ひとりだけ、できないやないか!」
怒鳴られた夢生少年は悔し涙を流しながら、これでもかこれでもかと食らいついた。普通の小学2年なら
すぐ諦めてしまうもの。しかし、この子は違った。1時間以上もひとりで黙々とトライしつづけた。
そんな姿を見ながら澤田監督は光るものを感じたという。 【異色の経歴を持つ金崎夢生。サッカーとフットサルを並行していたジュニア時代】の続きを読む